鄭子太極拳
鄭子太極拳は、楊式太極拳の第三代伝人の楊澄甫の弟子である鄭曼青が楊式太極拳を整理し37式にまとめたスタイルとして誕生しました。
楊式からこの三十七式が認められなかったことと、さらに楊式よりもさらに柔らかくこじんまりとした動作であることなどから別式とされています。
套路型は37式、武器は楊式太極剣、推手、さらに台湾系の系譜ではこれに気功(内功)が加わるだけの最小主義の太極拳で簡易太極拳と言われることもあります。
鄭曼青は五絶老人とも呼ばれ「詩、書、画、医、武」に優れ文人、医者としても名高く台湾に移住後、さらにニューヨークに移り、漢方医として活躍しながら太極拳の普及活動も行なっていました。
鄭曼青は、中国人や欧米人の区別をせず、誰しもに太極拳を伝授したため、結果として欧米に最初に太極拳を広めることになります。
そして、他の太極拳が欧米で広まるようになるまでは欧米で太極拳といえば鄭曼青の三十七式であったと言われています。
また、鄭曼青は漢方医であったため、太極拳の健康面での効用を強調しました。
これが、欧米で太極拳が広まる一因ともなったと言われています。